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2009.07.03 Friday
あなたも“神”になれる
僕は専門学校に通っていた頃、
『プロとはなんぞや?』という事をずっと考えていて、
自分の作品を世に出したらプロなのか?
それでメシを食っていけたらプロなのか?
自称でエエのか?
特別な技術を身に付ける事か?
といった感じの事が頭の中をグルグルと回っておりました。
今ははっきりと答が出ていて、
それは金を得る事でも技術を得る事でもなく、“イメージの具現化を徹底できる者”だと思っている。
メシを食っていけたり、技術を身に付けたりというのは、
その結果であって、全てが枝葉でしかない。
いや、書いてしまうと実に簡単な事ではあるけれど、
音楽もビジネスも、頭の中にある構想を形あるものへと変えていく作業の中で、多少のズレが生じる訳で。
それに気付けない内は、いくら金を稼いでいても、高い技術があっても、
ド素人ですわ。
ズレが生じたことに気が付き、・・・でも直せない。直さない。
これは素人で。
ズレを感知して、寸分の狂いも許さないのがプロ。
イメージしたモノを形あるものへと変え、そこから新たなイメージを生み出し、螺旋状に昇華させていく事ができるなら、
プロ中のプロとでも言えばいいのか・・・“神”ですわ。
“神”って言葉を使うとなんだか冗談めいて聞こえるけれど、
よ〜く考えてみると、本当に“神”なんだから面白い。
イメージを具現化させ、そこからまたイメージを湧かせ、また具現化する。
寸分の狂いも許さず、創造に創造を重ね、繰り返す。
できあがった強烈なエネルギーを放つ創造物は、人の心を動かす。
そこには、それに共感した人々が集まるコミュニティが形成される。
その創造主が具現化したモノに共感した人々が、そこに“住み始める”。
結果的に高い技術を得る事になり、場合によってはお金が流れ始める。
それは、まさに世界の創造であり、
プロフェッショナルとは、つまり“神”であるという事。
誰でも“神”になれる。
八百万の神々が住む国、日本。
なるほどね。
オモロイですわ。
2009.07.03 Friday
結婚したい女性像
結婚するならどんな女性が良いか?
・・・そんな事をわざわざ聞かんでくれるか、
と内心では思いつつ、聞かれたのだから答えるか・・・と
答える僕がいる。
古い知人からの質問ですわ。
婚活やね。
なかなか大変なんだそうです。うむぅ・・・。
こうであって欲しいと僕が思うのは3つ。
一つは家事が上手な事(can , can'tではない。)
一つは愛想が良い事。
最後にも一つ、頭が切れる事。
以上です。
・・・と答えると、「それじゃ分からん。」と言われたので、
補足で説明を付けました。
家事ができる女性が良い。
こう勘違いされると困る訳で。
家事が上手な女性が良い、と言うのはどういう事か?
簡単に言うと、
男性が家事をすると、効率や完成度が先に立ってセンスは後回し。
女性が家事をすると、効率や完成度を維持しつつセンスが良い。
偏見だと言われようがどうだろうが、僕はそう思っている。
客人が我が家を訪れた時、センスの悪い家だと恥ずかしい。
センスが悪いというのは、派手だとか地味だとかとは違って、
品があるかないかという事で、
男性が完璧に家事をこなしてしまうと、生活感が無くなる気がする。
かといって自分仕様にすると、他人にしてみりゃゴッチャゴチャ。
困ったもんだ。
女性はその辺のバランス感覚が良いと思う。
これが悪いと、客を招くことができん。
愛想が良い事。
こりゃ当然。
男が愛想よくしていると気持ち悪い。
頭が切れる事。
たとえば女性が、“A・B・C”という3つの選択肢を用意し、
男性に選ばせるとする。
しかし、女性はもう男性が“A”を選ぶと予想できており、
その確率は限りなく100%に近い。
尚且つ、BやCを選んだ時にAへと誘導する手段も保険として用意している。
そして、男性が“A”を選んだ後、シナリオが滞りなく流れるように
全ての準備をすでに終わらせている。
その上で、あえて「A・B・Cのどれが良いか?」と尋ねる。
男性は迷うことなく“A”を選択。
全てが順調に流れる。
『オレがやった。オレが主導権を握っている!!』
・・・女性の掌の上で。
決して喧嘩は起こらない。
プライドを気にする男性は、それを尊重してくれる女性に
決して歯向かう事はない。
男性の悪口ばかり書いている気がするねぇ。
男性は筋力が強い。
脳は右脳と左脳をそれぞれ独立させ、片方を特化して使う事に優れている。
だから、計算や言語に強く、分析や観察、それに基いた正確な判断力、決断力に優れている。
これら全て、戦う為に必要な能力。
これしかできず、これしか知らない。
女性に対し、「オレの三歩後を歩け。」と男性は言う。
これはどういう事か?
それは、身を挺してあなたを守るという意思表示。
それしかできず、それしか知らないから。
そんな感じでしたね。
その古い知人には、理解してもらえました。
2009.07.02 Thursday
今を生きるって、どゆこと?
こ〜んな日記ばかり書いていたら友達がいなくなりそうやけども、
まぁ、友人と呼べる人は一人か二人そこらいたら十分やと思うから、書こうかと思う。
前世とか、来世とか、いわゆるスピリチュアルなもの。
そういうモノの存在についてのアレコレに関し、ここ数年よく耳にするようになった。
僕はよく勉強していないから分からないけれど、
カルマと呼ばれるものもその一種やと思っている。
仏教で言うところの因果律というのは、それそのものに近いんやろう。
さて、誤解を恐れずに言いますと、
最近の僕はこれに関し、「あぁ、そうか、そんな事はどうでもいいんだ。」
と思うようになった。
これは「悪行の限りを尽くしてもエエんやな。」という意味ではない。
たとえば、僕が今から湯を沸かすとして・・・
やかんに水を注ぎ、コンロにかけ、待つ事数分・・・。
僕は熱湯を手に入れた。
当たり前じゃ、という声が聞こえそうやけど、
まぁ・・・当たり前なんだわ。
そしてそれは、やかんに水を注いだ時から、“当たり前”なんだわ。
もっと言うと、僕が『湯を沸かそう』と思った時から、“当たり前”なんだな。
もっと言っちゃおうか。
それは、僕が今朝、目覚めた時から“当たり前”で、
僕がこの世に誕生した時から、“当たり前”で、
父親と母親が出会った時から“当たり前”。
面倒くさいからちょっと飛ぶ。
それは人類が誕生した時から“当たり前”。
地球が誕生した時から・・・宇宙が誕生した時から・・・
“当たり前”。
過去の流れの中から、ゆるりと流れる時空に乗って、
僕が『湯を沸かす』という“今”は、決まっていたとか決まっていないとか、そんな話ではなく、
『可能性として最初から存在していた。』という事で、
それが意味するのは、『過去は“今”と同じ座標の上に在る』っちゅう事。
そして僕が湯を沸かしたら、その後どうなるか?
ミスって火傷か、カップ麺作るのか、
『いずれにせよ、その可能性は最初から存在している。』
・・・つまり、『未来は“今”と同じ座標の上に在る』という事で、
過去も現在も未来も、最初からそんなものは一つの点の上に在る。
前世も来世も、今のあなたの中に在る。
見る人が見たらそれが何なのかが分かって、
見えない人でさえ、「なにを“当たり前”の事を・・・」と感じるやろう。
つまり、「どうでもエエわ。そんな事。」とね。
「お湯が沸いていますね・・・あなた、水を沸騰させた過去があります。」
『当たり前じゃ。』
前世や来世なんて、そんなモンですわ。
意味の分からん程に馬鹿デカイ宇宙の中の、ちょいと田舎な銀河系の、
さらにド田舎の太陽系の中の星、地球。
宇宙全体のもつ百ウン十億年を超える時間の中で、光の瞬き程しかない人間の人生は、あっけない程に短くて。
そもそも『時空』という概念があるから、今の僕は“日本人という形”としてド田舎地球に存在していて、
目には見えない巨大な時間の流れと歯車の動きに乗って、前世も来世も元から内包していてそこに全てが在る訳だから。
言ってしまえば、全てが『どうでもいい』訳だ。
時空が生んだ“形ある物”は、もともと全てが一つで、一つは全てという意味。
仏教では、涅槃に入ると永遠に消滅すると言うが、
僕は“消滅”ではないと思う。
“元々の姿”に成ったから、“一つ”とも“全体”ともいえる存在になり、
言葉として表現すると、“消滅”という意味合いの言葉しか無かったんやと思う。
仏はどこにいても仏であり、あなたも仏、私も仏、そういう意味やと考えると面白い。
ただ、人は『全てがどうでもいい』というと、
適当に生きる。とか、ナンも考えないで生きる。とか、そういった低次元な解釈をしがちだけれど、それは違う。
言葉で言うのは難しいけれど、
『突き動かされるモノに抵抗しない。』という感じ。
何もかもが、『無意味な事』なのかもしれないし、
何もかもが、『世のため人のため』なのかもしれないし、
結局全てが、『自己満足』なのかもしれない。
目に見える月や地球の自転や公転のリズムだけではなく、
途方も無く馬鹿デカイ宇宙のリズムを感じながら、
『突き動かされる』という感覚を掴む。
「在るがまま」というと、すごく軽くなってしまうから
僕はこの表現があまり好きではないのだけれど、
もしも今、自分の成そうとしている事が
『突き動かされている』なら、そのまんま行っちゃってヨロシ。
『突き動かされている』という力に反発していると感じるなら、
もしかすると得体の知れない底無し感や、浮遊感があるかもしれない。
それなら、反発せずに任せれば良い。
全てが自己満足かもしれなくても、無意味かもしれなくても、
突き動かされているんじゃ仕方無い。
そこには、何の恐れも不安も無い“今”がきっと在る。
なぜか?
それはもうすでに、“一つ”であり“全体”だからやと思う。
2009.06.24 Wednesday
新しい枠組み
古い枠組みやシステムの中にいると、それが古いと分からないモンで。
客観的に見てみようとした所で、背中を“古い枠組みの壁”にくっつけて
自分の行動を客観視している訳だから、出てくる結論は結局のところ
“古い枠組みやシステムの中でしか通用しない改善”になってしまう。
たとえば日本は、欧米列強と同じように発展を遂げるべく、
“工業”にフォーカスし、造船業などの産業を発展させてきた。
どうなるか?
いや、実に簡単で。
『過去の失敗を分析し、それを繰り返さない方法』と、
『過去のデータを分析し、効率を上げる方法』という剣と盾を備えておけば、上手く戦っていける事に気が付く訳ですな。
ところがどっこい。
世の中とは移ろうもので。
祇園精舎の鐘の音・・・ではありませんが。
栄枯盛衰、変化は否応無しに押し寄せてくるのであります。
始まりはベルリンの壁崩壊か、ソ連の崩壊か、よく分かりませんが。
“ある時”から確実に変化が始まり、
今では如実に・・・『枠組みの変化』は目に見えるようになってきて。
たとえば、
『古い枠組みやシステムが起こした不協和音の清算と統括』
『古い枠組みやシステムと自己のズレを理性で理解できずに起こる精神病』
『古い枠組みやシステムの中で価値を持っていたモノに対する興醒め』
具他的に挙げるなら、
チベット問題、北朝鮮問題、などの外交問題と政界再編が囁かれる(?)国政。
躁鬱、自殺、未成年のプロフ問題や売春。
田舎暮らしへの憧れ、家庭菜園、セカンドライフ。
分かりやすい例で言えば、昨今、アジア雑貨が流行ったり、
今、アジアが見直されつつあって。
(見直すという表現は好きくないですわ。気付いてなかったんかいな、って感じです。)
確実に、着実に、古い枠組みやシステムを支配していた概念が、
新しい枠組みやシステムに於いて通用しなくなってきている訳です。
では、新しい枠組みに於いて必要なモンとはなんぞや?と言うと。
それはたぶん、『創造性』でしょう。
ド素人の人間が、プロの棋士を倒してしまう動画があるそうですが、
そういうのも『創造性』ですわ。
こういう、いわゆる“黎明期”には、訳の分からんモンが沢山出てきます。
なんじゃ、そりゃ?訳分からん。しょうも無いわ。みたいなね。
でもそれは、古い枠組みやシステムに於いてのみ有効だった概念で見てしまっているからで、
簡単に言えば、『肩書き』、『見た目』、『普通はこうだ』という
まさに先程書いた『過去の失敗やデータ』を元に見ているから、そうなっちゃう。
変化にはプロセスがあるから。
変なモンがようけ出てくる、っちゅうのはまさにそのプロセスであって。
肝心なのは、過去のデータなんて参考の参考程度で置いておき、
『なんでそんなん出したんスか?』という“プロセス”を見ないと、
新しい枠組みやシステムに於いて有効な概念は見えない。
そしてその際、押さえておくコツは、“女性性”を持つ事。
つまり、母性。
古い枠組みやシステムはもう円熟しまくっているから、そこには男性性が色濃く現れていて・・・
「なんでできへんねん!」「それじゃアカン!」「アホか、お前は!」みたいなね。パワハラかよ、ってな感じですが、
黎明期に於いては、「よくできたね。」「すごいやん、それ。」「いやぁ、おもろいですな。」みたいな感じで、『母』が求められるから、
これから何か物事を成し遂げたいなら、新しい枠組みやシステムで通用する概念に頭をちゃっちゃと切り替えて(既成概念は知識として持っておき、創造性を意識する)、女性性を意識してみる事のがコツやと思います。
たぶん、何事においても。
それが人間・・・もとい、生命の活動ならば、同じ事が言えるんとちゃうかな。
そんな事を考えていました。
2009.06.22 Monday
気付いてしまいました
生きるってぇのは“表現”や。
こんな感じですな、最近。
いや、何度も回りまわって「気付いたぞ!」って感じですわ。
音楽や絵、文学、書、写真、などなど、
なんだかそれって『アート』よね。
・・・ってカテゴライズされるものが“表現”で、
それはなんだか“特別枠”みたいな印象があって、
「じゃあ音楽やろうとしている僕は表現者なんだろうな。」
・・・みたいに、偉そうに思っていましたが。
なんて事は無い。
ビジネスも一緒。会社勤めも一緒。
こっからここは『アート』だから“表現する”って事になって、
そっからそこは『アート』じゃないから“表現とは違う”・・・とか、
「あぁ、しょうもない。そんなカテゴライズに意味もクソもないわ。」
という事に気付いた・・・いや、思い出した。
人間が何かをしていれば、それはもう全部が“表現”な訳ですわ。
お金の流れなんて、それにくっついて回っているだけだから、
しかも、それは欧米列強様の資本経済主義という箱の中だけでの話で、
全く別のシステムの箱の中では、別のものがついて回るだけ。
表現とは創造性の事を指していて、それは宇宙の仕組みそのもので、
万物に共通する“作業”だから、箱なんてなんだって構わない。
創造性はそれよりも上位に位置するシステムだから。
箱がどうあれ関係ない訳だ。
お金の為に創造性を発揮しようとするから、自然を破壊してもたり、
結局それって人間にとって危機的じゃないか?という選択をしてしまう訳で、
逆やん、それ。という感じですわ。
日本の近隣諸国の指導者は、まさにその“逆方向”へ突っ走ってますなぁ。
あれじゃ何にも生まれんわ。
日本はね。
指導者はバッチリ逆方向を向いてくれているけれど、多くの日本人の記憶の深層には、『創造性』がしっかり残っている。
絵文字を生み出したり、なんか役に立たんおもろいモン作ってもたり、
ギャル語とか、ギャル文字とか、創造性発揮しまくってます!って感じですな。
他にも、軽自動車に自動ドアくっつけちゃったり。
メタファーも得意だし、ブロガーなんて世界一だし、
絵文字見て10の内10が伝わったり、分かるやろ?みたいなね。
たとえば『信』という漢字には、それなりに意味があるのだけれど、
『信金』とか、『信号』とか、そういう使われ方をすると、
「銀行じゃね〜か。」「交差点かよ。」
『信頼』とか、『信念』とか、そういう使われ方をすると、
「企業のキャッチフレーズか・・・。」「侍か・・・。」とか。
ベースには『信』という漢字の持つ意味合いが含まれてはいるけど、
全然印象は違う。
日本人は『信』という一字から万物を見る訳で、
外人なんかにこれを教えると、驚愕の衝撃な訳ですよ。
今まで見た事も無い“概念”だから。
効率良く人を殺す為に銃を作った。という概念の連中からすれば、
森羅万象を映すために刀を作った。というこの国の持つ概念なんか、
サッパリ分からん、ってのは当然ですわな。
たぶんGHQも、ここまでの深層を奪い去る事はできなかった。
ユダヤは、奪われないものを“知恵と知識”に見たと言うけど、
日本人は、奪われないものを“創造性”に見ていた。
見ていてうんざりするような今の日本に於いても、
創造性は元のままで残っている。
音楽じゃないと表現できない。
絵じゃないと。文章じゃないと・・・
そんなのは、自分で勝手に決めた実体のない庵でしかないですわ。
サラリーマンだろうが、フリーターだろうが、ニートだろうが、
創造者であり表現者であり、日本に生まれ育ったその血肉には、
特にそれが強く宿っているはずで。
それに気が付いた時、“今”がおもろくなる。
それは“おもろい未来”を創造し、手にしたに等しい。
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